建築概要

Overview

邦久庵は、二〇〇一年に建築家・池田武邦が終の住処として大村湾のほとりに設計した庵です。日本初の超高層ビルを設計した建築家が、自然と建物の関係を見つめ直した結果辿り着いたのは茅葺き屋根のすみかでした。長崎県西海市の「琵琶の首鼻」と呼ばれる小さな岬に建ち、ほぼすべて九州の材だけを用いた伝統工法で建てられました。湾に突き出した広縁からの眺めは素晴らしく、内外ふたつの囲炉裏を焼べながら大村湾を臨む時間は本当に贅沢です。 これだけ海に近い木造住宅は「山影で、波が静かで、塩分濃度が低い。日本の中でこの場所でしかできない建築のあり方」だと言います。南は小さな山に寄り添い、西に入江を抱えた邦久庵。水際と涼やかな風、そしてこれ以上無い夕景が、心を洗い流してくれます。

土に還る建築

Returning to the earth

 釘ひとつ使わずに、ほぼ全ての材を地元の木材で構成しています。自然を畏怖する心を忘れてはならないと語る池田武邦は、自然の一部としてふさわしい建築のあり方の追求。「土に還る」建築を目指しました。自然の材料で、断熱性・調湿性に優れた茅葺き屋根は、そのシンボルです。現代において、伝統工法技術を、後世に伝承する機会がほとんどありません。「私の弟子は、伝統工法の家に携わったことがありません」という地元の大工の声を聞いた池田武邦は、長く時間をかけて培われた地元の技術が途絶えてしまうことを強く危惧し、自分の家で存分にその技術を伝承してくれ、と依頼したのです。

​真西を向くデッキ

The deck, facing just to the west

邦久庵といえば、このデッキからの絶景です。玄関を兼ねたこのデッキは、ちょうど真西に向けてつくられています。春分の日、秋分の日にはちょうど正面に夕陽が落ちる。夏は右手に、冬は左手に。午後はデッキで大村湾を眺めながら、自分がいま“何月何日の何時何分を生きているか”を確かめながら生きる。「人間は自然の一部である」と考えた池田武邦は、自分と自然環境が対話する場所として、このデッキをつくりました。

湖のように穏やかな大村湾とは言え、台風が来ると南から強い風が吹きつけます。邦久庵は、南側は小さな裏山に寄り添うようにして、台風から守ってもらっています。その分、東西に開いて、風通しと眺望を得る。まさに、ここでしか出来ない建築の配し方なのです。

特別な海、大村湾

Omura Bay

 池田武邦は、1945年4月7日の沖縄特攻(坊ノ岬沖海戦)に弱冠21歳の士官として参加しています。の測的長として乗艦していた軽巡洋艦『矢矧』は、米軍による激しい襲撃を受けて沈没。その後、死を待ちながら5時間、冷たい海を漂いました。その後思いがけず助けられて辿り着いたのは佐世保の海軍病院。そのとき、大村湾の山桜咲く穏やかな風景を見て、『国破れて山河あり』『いつか平和な時代がきたらこんなところに住みたい』と思ったそうです。その時の思いが遥か時間を越えて叶ったのが、この邦久庵という終の住処でした。だからこそ邦久庵は大村湾ファーストでつくられていて、台所からもお風呂からも、二階の書斎からも、大村湾を望めるように細やかに設計されています。

 大村湾は琵琶湖の半分くらいの大きさで、湖のように穏やかなのに本物の海で、クジラ(スナメリ)だって住んでいる。こんな海は世界的にも珍しい。改めてこの海に惚れ込んで1970年代に現在の邦久庵の土地を購入した池田武邦でしたが、その後海はみるみる汚れ、「黄色く」なってしまいます。「水際の環境こそ大切なんだ。海と山は繋がっている。護岸で海と山を切ってしまうと、海を綺麗にする生態系の機能が保たれない」。そう考えた池田武邦は、コンクリート護岸に激しく反対し、邦久庵の裏手で自然護岸を県に提案し、実現させます。その後池田武邦はハウステンボスの設計に関わりますが、そこでは全面的に自然護岸を採用し、環境都市の実現を目指したのです。

図面/スケッチ

Drawings

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